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日本人のコロナに対する初期反応

さて、コロナの騒動が始まって1年くらいになる。今は毎日ニュースでコロナのことが報道されどこに行っても感染対策がされ、コロナ禍の真っ只中である。今回は、まだコロナ禍の初期、3月くらいまでの日本人の反応について考えていきたいと思う。

 

今では信じられないことだろうが、日本人は3月くらいまでコロナをなめていた。この状況は海外から見ても驚くほどだったようで、米ワシントンポスト紙がわざわざ日本語で記事を出してきたり、香港の周庭さんが「このウイルスをなめないでください」と言う動画をUPしたりしていた。台湾が1月からかなり早く対応していたのに対し日本人はその頃何もしていなかったので台湾人が驚いていたというのも聞いたことがある。ツイッターでマスクをしろと言って炎上したり小池知事を動画に出したりしていたヒカキンですら、志村けんが死ぬまでは「ちょっとタチの悪いインフルエンザ」くらいに思っていたらしい。

 

日本人はコロナをなめていた。しかし、それは他国の国民に対し、日本人が賢かったということである。それが今ならわかる。コロナ脳にはこう書いてもわからないだろうが。日本人は賢かった。具体的にデータなどがなかったとしても、おおまかな状況把握能力が高かったのだ。これも教育がしっかり行き渡っていたりするからだろうか。識字率100%の国民は伊達ではない。ディズニーランドが休園するとなったときも、閉まる前にギリギリで行く「駆け込みディズニー」なるものが見られた。要するに怖がっていないのである。怖かったら行くわけがない。「行けなくなる前に行ってしまえ」という魂胆なわけだが、これはコロナに罹るリスクを押してでもしばらくディズニーを味わえなくなるというリスクを回避しようとしたということである。当時は(今も)彼らはいい加減で空気の読めない奴という評価を食らったが、コロナが怖いなどとぬかしている奴らよりもよほどリスクマネジメントができていたのである。

 

日本人のコロナをなめる(認識としては科学的に正しいので厳密にはなめるではなく適切な対処というのだが)姿勢は盤石であった。2月末に一斉休校が行われるまでは全く普段どおりであったし、その直前頃友達とクラブに行ったが誰もマスクなどしていなかった。3月に飲み会をやったときも友達の友達がコロナ怖がっているという話を聞いて「えーコロナ怖がってんのwww」と笑い飛ばしていたくらいである。この頃はまあ流石にマスクはしていた。3月中頃に新宿の街中で撮った写真が何枚かあるが、結構なマスク率とはいえマスクをしていない人も普通にいたし、一般の通行人どころかガードマンですらマスクをしていないのが写っていた。皆そのくらいの認識だったのである。マスクを忘れても「花粉症なのにマスク忘れたわーwww」くらいで周囲にも何も言われなかった。

 

3月末に志村けんが死んで煽り報道が加速した気がするが、そのあたりから国民の認識も変わっただろうか。4月もまあマスクしてないのはいたが、本当にちらほらというレベルであった。しかしこの頃もそんなにマスクにうるさいというほどではなかったと思う。まだマスクは自主的にするものという感じだった。本格的にマスクしろという空気になったのは緊急事態宣言が解除されてからであったと思う。4月上旬頃は私もコロナ脳であった。流石におかしいだろと思い調べ真実に気づいたのは4月半ば〜下旬ごろだった気がする。

 

そして自粛警察、マスク警察と呼ばれる人たちが登場する。当時は「自粛厨」という言い方もあった。今は「コロナ脳」に統一されたと思う。かつての自警団と変わらないものだが、人類は歴史に学ばないのだ。

 

日本人の同調圧力は異常に強い。普段からまああるものではあるがこのコロナ禍においては特に、である。マスクをしなければいけない、自粛をしなければいけないなど、国が正式に言っているわけでもないのに民間で勝手に暴走した同調圧力が非常に強い力を持っている。しかしこれは皆それぞれ自己をしっかりと持っていないから起こるものでもあると考えられる。世のそれなりな割合がそのように動けば、あとは流されるだけなのである。これもコロナ前から変わらない日本人の特徴である。

 

日本人のコロナをなめる姿勢は盤石であり、海外がどうであれそれはなかなか揺るがなかった。しかしそれは一旦崩されひっくり返されると、またそれも盤石になり、なかなか崩れないものである。そういう社会の頑丈さは普段はきっとよいものであろう。電車とホームの間に人が挟まれれば電車を降りて大勢で助け出し数分遅れで何事もなかったかのように電車は動き出すし、地域の付き合いや警察の地元との結びつきからか治安もよい。海外からも羨ましがられ尊敬される社会でもあると思うが、今回ばかりは例外である。日本人の普段なら良い部分があれもこれも裏目に出ている。

 

そう、コロナ禍というのは例外の多い現象なのだ。日本人の真面目さや連帯感は全て裏目に出ている。有名人の発言でも、立場のある人は気をつけましょうねーくらいしか言えないが、過去に何かやらかした人やもともと嫌われていて立場のない人に限って言いたい放題していたが、その人たちの方がまともなことを言っているということが起きていた。舛添元東京都知事ホリエモンがそうである。ホリエモンは普通にまともなことを言っていただけだが、舛添は政権を叩きたかっただけで、あとでコロナ脳発言に変わっている。これはあとからわかったことだ。それでいうと、元新潟県知事の米山隆一もそうである。

 

柔軟性のない国民なので、もとの社会に戻すにしてもなし崩ししかないのだろう。今の政権の動きはそういうものであるように見える。いつまでかかるか心配ではあるが。

 

6月末にある程度ワクチンが揃うだろうから、それでオリンピックをやっておしまい、という感じだろうか。今年の大学1年生はキャンパスに通えるのはまだ先になりそう、と思うと本当に気の毒である。